ぱらのいあ

paranoia 主な意味:偏執病、妄想症、病的な疑り深さ

自分を殺めることは悪なのか

 

前に「自殺する勇気なんてないから」という記事をふらっと書いたんですよね。

なんとなくだけど、この題名に興味をもってしまった人とか、検索エンジンから飛んできた人とか決してそれは多い数じゃなかったけど居たんですよね。みんな(一概にみんなというのはいけないかもしれないけどみんなと言わせてもらうね)みんな悩んでるんですよね。ちょっとそう思いました。

 

***

 

自殺はいけないことです。

学校ではそう教えられます。

そう教える癖に、自殺したいと思うような児童・生徒に対して手を差し伸べてくれる教師はどれだけいるのだろうか。どれだけ、親身になってくれるのだろうか。そんなことを考えます。

 

自分が死んでも誰にも迷惑がかからない。この世界は変わらない。だから死んでもいい。

そんなことを言う自殺志願者がいました。

未来が見えるなんてすごいですね。

 

私は、想像を絶するような絶望に直面したことはないので、ただの綺麗ごとなのかもしれません。でも、生きてみないと世界が変わらないなんて分からない。生きていたからもしかしたら誰かの世界を物語を変えることができたかもしれない。世界は一人ではできていない。世界は繋がってる。ただその世界はいつも自分が主人公だ。その物語は、もしかしたら何巻にもおよんで、様々なシリーズがあって、登場人物は数え切れないほどいる。全世界に配布されていて、多くの人が読んでいる物語ではないもしれない。悲劇ばかりの物語かもしれない。ただ、その悲劇を最後、自分の手で悲劇のままバットエンドで終わらすなんてもったいない。そう思う。大逆転なんてないかもしれない。でも、でも、自分の手で物語を止めないでほしい。。。

 

ただ、自分を殺めてしまったことを悪だと私は言わない。

頑張った結果かもしれないじゃないか。それを悪だというのは、悲しい。ただ悲しい。自分を殺めてしまうことは、とても悲しいことだと思う。

 

 

 

junna.hatenadiary.jp