ぱらのいあ

paranoia 主な意味:偏執病、妄想症、病的な疑り深さ

彼女はきっと傷ついた

応援するよ

 

 

そう言った私は傷ついて

 

 

応援するね

 

 

そう言った彼女はきっともっと傷ついた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋は、きっと実らない方が多い。

恋は、きっと傷つく方が多い。

 

恋は、きっと1人でも2人だけでもできない。

 

 

 

 

恋は、きっとずっと難しい。

 

大人になんてなれなかった

 

 

「そうなんだ!応援するね!」

 

 

そう私が告げたのは

彼女が本当に彼に恋してるんだということが伝わってきたから
彼女から聞く限り、私が入るもんじゃないって思ったから
私の胸の痛みは勘違いだと思いたかったから
そして、私には恋人がいたから

 

 

 

 

そうなんだ。応援するね。

 

言葉は取り戻せない
本当にそうだ
応援するねと宣言した私は応援するしかない
つまり、彼女の話を聞くことしかできない
彼をこれ以上好きになることはできない
彼に好きだと伝えることはできない

 

 

 

 

 

 

できない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼が好きだと言う気持ちを隠すことができない

 

 

 

 

 

そう

 

 

 

 

私は大人になんてなれなかった

 

引くことなんてできなかった

 

 

 

彼女がいっそ付き合ってくれるならできたのに

 

私に望みがあるなら彼の横に立ちたいと思っていた

 

 

 

 

 

 

 

彼の前ではじめて泣いた時

私の嘘が終わった時。

 

 

彼女にはまだ嘘のままだけど。

恋をした

 

「私、****が好きなんだ」

 

 

それを聞いた時大きく一回、心臓が跳ねた。

そのあとに胸がつっかえ痛くなった。

 

 

 

あぁ、私好きなんだ
私も****が好きなんだ

 

そんなことを思った

 

でも同時に今ならやめられる
そう思っていた。

 

 

だから、私は彼女に伝えたんだ

 

「そうなんだ!応援するね!!!!!」

 

 

 

 

私の恋はここで終わるべきだったのに

私の恋はここからスタートした

 

辛くて、やめたくて、嘘つきな恋のはじまりだった。

きっと愛してる

 

 

夢は毎日みている

 

 

それは将来の夢とかなりたいこととかしたいこととか
そんなんじゃなくって

 

眠っている間に見ている

 

 

頭の中を整理しているんだなんて言われる夢

 

自分は眠っているはずなのに、脳が動いている働いている考えている

 

 

それは、幸せだったり、怖かったり、嬉しかったり、悲しかったり、必死だったり、笑っていたり、泣いていたり。

 

最近はよく覚えていないのだけど

起きたらいつも泣きそうになる。

寂しいという気持ちになっている。

 

 

それがなぜなのか分からなくて、辛くなってしまって、もういやだな

なんてことを思うのだけど、

スマホを開くと、頑張っている人たちがいる

SNSが普及して、誰とでもすぐに繋がれて、事件があったり、信用することができなかったり、それぞれあるんだけど、だけど、私はそのSNSに力をもらってる。

いつ切れてもおかしくない繋がりかもしれないけど、それでも私は、ネットで繋がった彼らを愛している。

 

それは偽物だ

 

なんて言われても

私はきっと愛してる。

 

 

身内が鬱になりまして

 

身内が鬱になりまして。
題名の通りです。

 

先に伝えますと、長いです。
それに文調がいろいろ混ざっています。

 

 

 

鬱が、風邪や癌などと同じような病気であるとやっと世間が認識しつつというところでしょうか。
だけど、まだまだ気持ちの問題だろうという声も現状にあるのが確かです。

 

何年か前に嵐の二宮がドラマ主演をしていました。

「フリーター家を買う」

有川浩が原作のストーリーですね。

 

 

これは、フリーターではなく、そのお母さんが鬱になります。

なかなか鬱に理解のない父と、主人公のやりとり。

 

 

私自身、このような問題に関心があったため、理解のない父に対して憤りを感じていました。気持ちの問題なんかじゃないのに。なんて思っていました。

 

 

 

 

 

************

 

電話がなった。
正直なところ出たくないと思ってしまった。

 

「どしたん?」

 

そう言うと、聞こえてくるのは嗚咽。

 

「人と会うのがいやだ」
「気持ち悪くなる」
「どうしようもない」
「自分が迷惑しかかけていない」

 

それと

 

「死のうと思ったけど無理だった」

 

 

ため息が出そうになったのをぐっと堪えて返事した。

 

 

「なんでそう思ったの」

 

 

私の精一杯の返事。

 

理解していたと思っていたことは私の勘違いだったのか。
ため息は、彼に対してではない

自分の鬱に対する思いにある。

 

 

 

うつ病に理解があると思っていたが、現実突きつけられるのはそうじゃない。

 

なんでなん?

 

と思ってしまうんだ。

 

うつ病は、病気なんだと理解していても
その言動まで私は理解できないのだ。

 

 

私は集合体恐怖症であるが、そうじゃない人は、その気持ちを理解できないように、理解できないのだ。私が見るだけで、めまいがしそうになるアレを、好む人がいる。私はそれを理解できないように、鬱の彼の気持ちは理解できないのだ。

 

 

人前に出るのがいやな時はある。
人混みがうっとうしく感じる時だってある。
1人が嫌な夜も、1人になりたい夜もある。

なにもかもやめたいときも、それでも頑張ろうって思っている。

 

 

ただ、人と会うのが嫌だという彼を私は理解できなかった。
彼は誰かに会う。というよりも、人が大勢いる場所、街、電車が嫌なんだ。

 

気にしなければいいのではないか。

声に出すことはないが、心の中ではっきりそう思った。

 

 

 

 

気にしなければいいのではないか。

今まで何度か使ったことがある。言われたことがある。
しかし、この言葉はなんて残酷なんだろう。

 

気にしない。ということができないから。気に病んでいるんだ。
気にしなければいいなんて知っているし、分かっているのに出来ないから、助けを求めたのに、それなのに、気にしなければいいなんて言葉。私は過去に何度使ったのだろう。

 

 

 

 

今、時間をかけて理解しようとすることはできても、それでも、しっかり支えてあげることはできない。私はできない。自信がない。

 

 

******

 

 

鬱は、人に伝染するのか。

 

一時そんな話題をテレビでみた。

 

風邪のようにうつるのか?
そんな話だったろうか・

私はイライラしてそのチャンネルを変えた。

 

 

伝染するのだろうか。
鬱の人が近くにいたら、鬱になってしまうのだろうか。

 

そんなことないとハッキリ言える人は、しっかり理解のある人なのだろうか。
言える人なんているのだろうか。

伝染するかといって、遠巻きにその人物を監察か。
そんなの小説に出てくる、名前なんてなくてもいい近所のおばさんだ。
あら、いやだー
なんて言ってしまうような、名前なんてなくていいのに、名前をつけられて、その人は、小説の中で必要な人物でもあるのだ。現実に近づくための人物だ。

 

 


伝染するのか。隔離するのか。距離をとるのか。

鬱になった人を人としてみないのか。

理解できない宇宙人なのか。

 

 

 

 

 

 

 

****** 

 

今回、私の身内が鬱になりまして
私は理解をすることが困難だった。

実は、ずっと前から病院に通っていたことは知っていた。
自分で病院にいくくらいなら大丈夫なんじゃないか。
そんなことを思っていた。

鬱の人は自分で病院に行かない。
なんてそんな偏見を私はきっと持っていた。

 

 

過去、私の恋人はうつ病だった。
出会った時にはもう病院に行っていたのだったけな。

 

 

彼は、薬を飲んで、仕事を2ヶ月休んだ。

その時は、こんな感情はなかった。理解できないなんてことはなかった。それだけ彼が軽い症状だったのか、見ていなかったのは私なのか。

 

恋人の鬱というものに抵抗はなかったのに、 なぜ電話をくれた身内に対して抵抗をもってしまうのだろうか。

 

 

突き放すことなんてしない。
嫌だとも思わない。
ただ、どうしていいかわからない。

ただ、どうすればいいのかわからない。

 

 

 

 

身内が鬱になりまして。

 

そういえば、ツレがうつになりまして。って本があったけな。
それを見てみようか。

 

 

 

身内が鬱になりました。

あなたなら支えてあげられますか?

 

 

 

読んでくれてありがとうございます。